「ソーシャル」の起源:ささやかな歴史的考察

このFacebookページの中心的なテーマは、「ソーシャル・インパクト」と「ソーシャル・イノベーション」です。そして、取り上げている題材は、「ソーシャル・インパクト・インベスティング」「ソーシャル・インパクト・ボンド」「ソーシャル・メディアを活用したファンド・レイジング」「ソーシャル・エンタープライズ」「ソーシャル・ファイナンス」・・・と「ソーシャル」のオンパレード。なぜ、今、これほどまでに「ソーシャル」が流行しているのでしょうか。そもそも、現在議論されている「ソーシャル」の起源はどこにあるのでしょうか。

「ソーシャル」という言葉ですぐに思いつくのは、「社会主義(ソーシャリズム)」です。確かに、「ソーシャル」という言葉が使われ始めるのは、1989年にベルリンの壁が崩壊し、1991年にソビエト連邦が崩壊することでマルクスが提唱した国家社会主義がその歴史的な役割を終えた時期からだと言えるかもしれません。その意味では、現在の「ソーシャル」ブームは、マルクス主義が「社会的経済」と名を替えて生き残っている名残だと言えるかもしれません。

しかし、現実に、「社会的インパクト投資」や「社会的企業」などを生み出す原動力となってきたのは、 80年代初頭から新自由主義経済を導入してきた英国や米国です。新自由主義の旗手だったサッチャー元英国首相の「社会など存在しない。あるのは男女とその家族だけだ。」という有名な言葉(今日の朝日新聞書評欄にも引用されていました)は、新自由主義イデオロギーを要約するものとして様々な場所で言及されてきましたし、また、具体的な政策としても、福祉切り捨てや労働組合活動の制限などの形で具体化されてきました。

皮肉なことに、こうした「福祉国家」の超越を目指した新自由主義政策の進展と「ソーシャル」の発展は切り離せないものです。保守党政権を蘇らせたサッチャー元首相の新自由主義イデオロギーが、90年代に入り、アンソニー・ギデンスの「第三の道」をバックボーンに労働党政権を蘇らせたトニー・ブレア元首相の元で「ソーシャル」として蘇り、さらにそれが、再び保守党を蘇らせたデービッド・キャメロン首相の元で「社会的インパクト債権」や「社会的インパクト投資」の形で発展していく。その歴史的評価を下すには、もちろんまだまだ時間が必要ですが、私たちが「ソーシャル」なものについて思考する際には、常に「ソーシャル」という言葉がたどってきた歴史的変遷を念頭に置き、その背後にある否定的側面(社会の解体、福祉国家の解体、コミュニティの解体・・・)についても思いをはせる必要があるでしょう。

でも、「ソーシャル」にはさらに長い歴史があります。これを歴史的にひもといて解説するだけの準備は私には全くありませんが、個人的には、私にとっての「ソーシャル」の出発点は、ルソーの社会契約論にあります。前著「人間不平等起源論」で、人間が人間として成立した瞬間に不可避的に貧富の差が生じるという難問に直面したルソーが、これを乗り越えようとして提示した「社会契約」という考え方は、格差社会が進行し、「1%」が世界の富を独占する現代社会にも有効です。「ニュー・コントラクト」という発想は、まさにルソーですよね。

同時に、このような「社会契約」を超えて、より自発的、機動的、ゲリラ的に、社会のあらゆるアクターが、ソーシャル・メディアを駆使してセクターを超えた恊働を組織しつつ、それぞれの立場から「ソーシャル」にコミットしていくという新たなイノベーションの時代が始まろうとしています。そうした動きを支えるには、「社会契約」はもしかしたら静的すぎるし、また、「格差」という否定的な要因に捕われすぎているかもしれません。こうした新たな動きを基礎付ける哲学は、残念ながらまだ私には見えていません。それは、例えば、「ソーシャル・プレッジ」のようにより緩やかなネットワーク形成を志向する概念なのかもしれません。

私たちが日々使っている「ソーシャル」という言葉。日々、様々な情報を追いかけ、かつ実践していくことはとても重要です。でも、時には、それぞれ自分の関心に応じて「ソーシャル」を「考古学」的に振り返ることで、新しい何かを得ることが出来るかもしれません。

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