スタンフォード・ソーシャル・イノベーション・レビューの記事をもう一つ紹介します。「フィランソロピーと不平等」という記事が、Zoltan J. Acsの新著「なぜフィランソロピーが重要なのか」に対する書評という形で、新しいフィランソロピーの動きを批判的に論じています。
2000年代に入り、米国においては新たなタイプのフィランソロピーについての議論が始まりました。口火を切ったのは、ビル・クリントン元大統領の「Giving」という本です。さらに、ビル・ゲイツの「創造的な資本主義(Creative Capitalism)」論、さらにマシュー・ビショップの「愛の資本主義(Philanthrocapitalism)」の出版により、ビジネスの手法を最大限に取り入れたフィランソロピーを発展させようという気運が高まりました。Zoltan J. Acsの新著もこの流れの中にあります。
これ対し、記事は、まず1970年代以降の米国における不平等の拡大とフィランソロピー資金の拡大が相関関係にあることを指摘します。また、この不平等は、シェンペーターが主張するようなイノベーションに基づく「創造的破壊」によるものではなく、金融規制緩和と金持ち優遇税の導入という政治的な流れによる点を強調します。その上で、記事は、税金による公共政策が所得再分配による格差縮小機能をもつのに対し、少数の金持ちによるフィランソロピーは、説明責任と民主的な手続きを欠いているために、格差拡大の危険性すら有すると主張します。
この議論については、私は幾つかの留保がありますが、フィランソロピーが非民主的でかつ説明責任を欠いているため、手放しで「善」と見なすことはできない、と言う点は全面的に賛成です。また、フィランソロピー活動と公共政策が連携しなければならないという点にも全く異論はありません。この記事は、フィランソロピーの社会的意味を考える上で色々と貴重な材料を提供してくれています。
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