先日、ご紹介したユタ州の社会的インパクト債「成功」の情報に重大な疑問が呈されました。ニューヨークタイムズの報道によると、このユタ州の社会的インパクト債の対象となったプレスクール教育プログラム、110名のうち1名を除いて全員が通常の教育プログラムに進学して「成功」した、とされていますが、専門家によると、これはありえないということです。同様の手法を適用した場合、通常の成功率はせいぜい10〜20%、非常に潤沢な資金を投入してきめ細かいケアを行ったとしても、その成功率は過去50%程度にとどまっていたとのこと。今回のユタのプロジェクトに対しては、それほど潤沢な資金が投じられていなかったにもかかわらず、ほぼ100%近い「成功」があったというのはあり得ないというのが、専門家の見解だそうです。
ということは、今回のプロジェクトの設計の段階で、分母となる110名の選択に何らかの恣意的操作がなされたことになります。実際、ニューヨークタイムズの記事によると、分母の選定基準がおかしいという専門家の意見を伝えています。分母を不当に操作して成功の基準を下げておき、プロジェクトの成果を誇大に提示したのではないかというのが今回の疑惑のポイントです。
仮に、この疑惑が本当だとすると、このプロジェクトに資金を提供したゴールドマンサックスは、恣意的なプロジェクト設計で不当に利益を得ていたことになります。なぜなら、社会的インパクト債の「金銭報酬」は、プロジェクトが所期の目的をどれだけ達成したかに応じて決められるからです。
もちろん、社会的インパクト債のプログラム設計は、原則として州政府と中間支援組織が行います。投資家であるゴールドマンサックスが、どこまでこのプログラム設計に関わったかは定かではありません。また、今のところ、ゴールドマンサックスがどのような投資契約を締結していたかも公表されていません。このため、仮に不正があったとしても、どこまでゴールドマンサックスが関与していたかは現時点では不明です。
ただ一つ言えることは、今回の報道で、社会的インパクト債の信頼性が大きく揺らぐ可能性が出てきたということです。もともと社会的インパクトの成果測定には常に「恣意性」がつきまとってきたわけですが、社会的インパクト債は、あえてその「恣意性」に目をつぶってこれを定量的で客観的な指標と見なし、これに基づいて巨額の投資意思決定を行ってきました。この投資に対するリターンの資金源は、最終的には国民の税金である公的資金です。データを恣意的に操作して民間金融機関が公的資金から巨額のリターンを得たと言うことが事実であれば、大問題です。
私自身は、「予防的措置に対するプログラム資金を民間が一定程度のリスクを負って投資する」という社会的インパクト債の基本的なコンセプトの有効性はまだあると考えています。その前提として、「対象となる予防プログラムが、すでに検証された十分な実績を持っているものである必要がある」という条件が、きちんとクリアされていれば、今回のような問題は生じなかったでしょう。ですから、議論としては、「だから社会的インパクト債は止めるべきだ」という議論ではなく、「社会的インパクト債が、その有効性を担保するためには、従来以上に厳密な事前調査と第三者による検証が必要だ」という議論になるべきだと考えます。付け加えれば、そもそも社会的インパクト債の前提となる「社会的インパクト評価」が一部の専門家の手だけで決められるのではなく、マルチステイクホルダー手法により多面的かつ民主的に決定されるべきだという点も強調しておきたいと思います。
いずれにせよ、今回の報道が、今後の米国における社会的インパクト債の発展にどのような影響を及ぼしていくのか、注視する必要がありそうです。
http://www.nytimes.com/2015/11/04/business/dealbook/did-goldman-make-the-grade.html?_r=0