ソーシャル・イノベーションを政策課題として、実務と研究の双方で推進している欧州からは学ぶことが多いのですが、新たに刊行された論文集「都市の文脈におけるソーシャル・イノベーション」は、豊富な事例研究と鋭い分析で読ませます。
この論文集は、国際サードセクター学会が編纂したもので、経済学、政治学、社会学などの様々なディシプリンの研究者が参加した学際的なものです。しかも、欧州の様々な都市の事例が取り上げられていて参考になります。
しかし、最も興味深いのは、「ソーシャル・イノベーション」を巡るある種の思い込みを批判的に分析している点です。我々は、「ソーシャル・イノベーション」を語るとき、無意識のうちに、それは良いものであり、市場原理を活用したスケールアップを志向しており、福祉国家の問題点を補完する重要な政策的役割を担っているということを前提としています。
しかし、今回の実証研究を積み重ねた結果、明らかになってきたことは、「ソーシャル・イノベーション」にも否定的な影響をもたらすものがあり、スケールアップではなくローカルなものにとどまることを意図的に選択しているものがあり、市場原理の活用により切り捨てられるステイクホルダーがいる、という事実です。
たとえば、スマートフォンを活用した貧困層支援には、プライバシー侵害の問題が常につきまといますし、共有経済の旗手であるUberのビジネスモデルは価格破壊を通じて既存のタクシー・ドライバーの生活を脅かします。仮にある種の「ソーシャル・イノベーション」が政策やマーケットメカニズムでスケールアップされた場合、その対象層が社会的に脆弱な貧困層や排除層であればあるほど、そこには常にある種のライフスタイルの「強制」や新たな「排除」を生み出す可能性があります。
さらに、往々にして「ソーシャル・イノベーション」は、財政削減と経済成長を目指す一部のパワーエリートによる「トップダウン」型の施策に陥る可能性もあります。「ソーシャル・イノベーション」の名の下に、政府の透明性や住民参加が損なわれるようであれば、本末転倒になるでしょう。
論文集は、こうした危険性に警鐘をならし、「ソーシャル・イノベーション」について、利害関係者や推進者だけでなく、中立的な立場からの研究者による実証的な研究をさらに進めていくこと、「ソーシャル・イノベーションにおける倫理」の研究を開始すること、市民社会主導によるボトムアップ型のソーシャル・イノベーションにも積極的に目を向けることなどを提案しています。
この議論を読んでいて、私自身も深く自省しました。基本的に、この情報ボックスの目的は、海外のソーシャル・イノベーションの動向を日本に紹介することを通じて、日本のソーシャル・イノベーションの発展に寄与することです。それが、一面的な「プロパガンダ」にならないよう注意しなければいけないと改めて感じた次第です。ぜひ皆さんのご意見もお聞かせいただければと思います。
なお、論文集にご関心がある方は以下のサイトをご覧下さい。
http://download.springer.com/…/bok%253A978-3-319-21551-8.pd…